疫病の歴史と新型肺炎
人類はその歴史において、何度か巨大な疫病、いわゆるパンデミアに遭遇してきました。有史以来、ペストをはじめとする多くの記録が残されており、そこから学ぶことは少なくありません。
たとえば、漢方の古典、傷寒論は、古代中国での腸チフスあるいはインフルエンザとされる疫病流行の際に書かれたものとされています。
日本では、奈良時代、仏教とともに伝来したとされる天然痘は藤原四兄弟の命を奪いました。また、京都の祇園祭も疫病平癒の祭りとされます。
現代の西洋医学は、病原体・病因を特定しなければ治療方針が立てられない学問です。東洋医学は、近世から西洋医学の影響を受けてはいますが、病原体を検索し、これを駆逐するという方法論をとっていません。すなわち、病原体を追って体の中まで詮索しませんし、投薬も体の外に現れた兆候のみから、それらの分析と再構築を経て処方を組み立て、症状を取ることを主たる目的としています。結果として、処方を組み立てた時の仮説に沿って治癒が進み、病の根源に至り、体のバランスが整えばなお良し、という考え方に基づいています。これは西洋医学的な意味での治癒や、根治を目指すものではないので、漢方医学的なアプローチとその結果としての漢方医学的な寛解としか呼べませんが、無下に排除できない膨大な試行錯誤のデータが残されています。
つまり、西洋医学的に言えば対症療法に過ぎないのですが、逆に、原因のわからない病気、病原体の特定されない(または分離同定されていない)病にも、なんとか立ち向かうことが可能です。
実は西洋医学も、18世紀頃までは、体液と精気のバランスを中心とした学問の体系であったのですが、その後の病理学、細菌学、分子生物学などの発達により、分析的、還元的な体系へと変化して行きました。
14世紀、ヴェネツィアでペストが流行した際、まだ顕微鏡も、細菌もわからない時代でしたが、6週間、積荷と乗組員を船にとどめ置けば、下船後も二次感染が起きないことが経験からわかってきたのです。これは、ペスト菌の潜伏期の長短によるものではなく、ヒトの体のシステムとして、あらゆる新規の外来微生物に対して、抗体が作られ免疫が確立する(抗体がうまくできないか、抗体ができても菌の勢力が凌駕する時には生体が死に至る場合もある)までの期間が約6週間であることを意味しています。
英語で”検疫”を意味する”Quarantine”はイタリア語の”quarantina”、”約40日” に由来するのです。くしゃみをした人に、”幸あれ”などと声をかけるのも、ペストの初期症状がくしゃみから始まったことが多いという、観察に基づいており、迷信的習俗と一言で片付けられません。
潜伏期間が12.5日だから、検疫期間は14日でよいなどとするのは、ペスト流行時の、まさに命がけでの人類の苦闘の歴史と教訓とに対する冒瀆でしかありません。よし仮に、潜伏期間が2.5日であったとしても、ヒトの免疫抗体は3日ではできません。14日でもできません。(13日目に初感染した人がいた場合、倍の)4週間でも怪しく、安全マージンをとると6週間ということになります。これは、エイズ検査の時に、心当たりのある接触から、どのくらいたったら抗体検査を受けられますか?という質問に対する答えと全く同じです。
当時のペストドクターは、ガウンと防護服を着、感染者と一定の距離を保つため、鳥の嘴のような鼻(中に香草を詰めた)のついたマスクをつけて診察を行いました。ヴェネツィアンマスクのドットーレの鼻は、おしゃれのために長くなったのではないのです。
常にユニバーサル・プレコーションを心がけ、パンデミアが防がれんことを祈ります。